NPO法人村のぱん屋・SUNの代表をしております「小川 千穂子」です。
私が「NPO法人村のぱん屋・SUN」を立ち上げた理由は、私自身の子ども(長男)のためでした。
30数年前は、他の子と、どこか違う長男をお医者さんに診てもらったり、大学の権威ある先生に頼ったりもしましたが、言われるのは「あんたの育て方が悪かったせいでしょう。」の一言でした。
今では「発達障害」「高次機能障害」など「精神障がい」のくくりに入るようになりました。
「知的障がい」ではない・・・でも、社会に溶けこめない・・・。この子は、将来どうなるんだろう・・・。年齢からいっても私が先に逝く。残されたこの子はどうなるんだろう。不安な毎日を過ごしていました。
親として、この現状を直視していくのは大変つらく、どうにかしなければと駆けまわっていたときに、タイミングが良く同時に2つの声が私にかかってきました。
1つは(当時)保健所からでした。同じ境遇の親たち(家族会)を母体として、作業する場所を作ろうではないかと。
現在の「地域活動支援センターあぐり」の前身です。
もう1つは、(現)上毛町社会福祉協議会からで、農協(JA)さんの跡地(当時新吉富村所有)で、ぱん屋をやらないかというお話でした。
ちょうど私は、姑さんの介護の合間に、長男とパン作りに励んでいましたので、良い機会だと思い、こちらはボランティア団体で始めました。
今の「就労継続支援A型事業所村のぱん屋・SUN」になります。
「地域活動支援センターあぐり」「就労継続支援A型事業所村のぱん屋・SUN」の2施設とも、現在では利用者数は数十人に増え、10年以上が経ちます。順調に大きくなっているように見えるかもしれませんが、実際は、「試練」「困難」「葛藤」と壁のような出来事がわんさかありました。
会社も団体も運営をしたことがない私は、毎日が手探り状態。
パンを作らなければならないのに、みんな帰ってしまって誰もいない。そんな中で黙々と1人でパン作りをすることもありました。
深夜から働き、昼は研修会へ、帰ってきてから片付けと翌日の準備・・・寝る暇もない日々が続くこともありました。
機械が故障。明日朝に届けないといけない予約のパンがあるのに、仕込めない。
パンが山ほど売れ残った時期もありました。
このような綱渡りを経験してきて、わかったことがあります。
「どうしよう、どうしよう、何ができる?」と真剣に考えていると、必ず、誰かが現れたり、援助の申し出があったり・・・。
不思議と道が開けてくるということです。
道は、自分1人で切り拓くのではなく、周りの温かい支援に寄って拓かれていくものなんだな。と今ではそう信じています。
「地域活動支援センターあぐり」と「就労継続支援A型事業所村のぱん屋・SUN」は、
社会のさまざまな壁によって、行き場を確保しがたい人たちの働く場所、ふれあいの場所、憩いの場所になることを目指しています。
利用者本人が自立して、普通に生活していけることを私たちはサポートし、我が子の将来を心配している親が安心できること、それがわたしの願いです。
NPO法人 村のぱん屋・SUN
代表 小川 千穂子